銀嶺ゲリラパフォーマンス
本日開催された銀嶺祭において、現代限界芸術研究会はゲリラパフォーマンスを行った。誰も見ていないけど、我々は我々で楽しくやらせてもらった。パフォーマンス自体よりも、むしろ過程が面白く、普段交流のない者同士の芸術を媒介としたコミュニケーションが心地よかった。
以下に、本日の様子を記す。
午前11:00、皆がステージに夢中になっているのを尻目に講義棟の脇へ向かうロシア帽に髭の男、そして実験用の白衣に身を包んだ男。
白衣の男(首に巻いたテープには"Danger"と書かれている)は電子ピアノに座ると、やにわに弾きだした。すると、ロシア帽の男(靴も靴下も履いていない)は音に反応して痙攣する。
そこへ見物客が太鼓を叩いて乱入する。ロシア帽の男は太鼓にも反応せざるをえず、白衣の男とロシア帽の男と見物客は疲れはてるまで奇妙な宴を続ける。
そこへギターを担いだ男が現れる。金属音と電子音との振動がロシア帽の男を疲労させ、帽子も、髭も、上着も、身につけることを許さない。ギターと電子ピアノとダンスが、やがて調和していく……
そのうちに、奇妙な宴は終わりを迎えたのだった。
限界書評~はじめの5冊~
人は何のために読書するのか。
ずばり、本を読まないと始まらないから読むのだ。
そんな現代限界芸術研究会、代表推薦の5冊を紹介したい。
どれか1冊でも購読してもらえればうれしい。
これ読まなきゃあ始まらない。
「純粋芸術(プロが作りプロが評価する芸術)」、「大衆芸術(プロが作りアマが評価する芸術)」、「限界芸術(アマが作りアマが評価する芸術)」という分類は議論する価値あり。言説自体は半世紀以上前のものだが、芸術の幅を広げたという意味で現代でも重視されている(はず)の本。
「限界芸術」への言及は序盤に集中しており、中盤以降は「大衆芸術論」に割かれている。『万朝報』を創刊したジャーナリストの黒岩涙香の生涯などが鮮やかに語られる。
2.『美術の物語』E.H.ゴンブリッチ ファイドン
- 作者: エルンスト・H.ゴンブリッチ,E.H. Gombrich
- 出版社/メーカー: ファイドン
- 発売日: 2011/11
- メディア: 単行本
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過去の美術史を網羅しつつ、美術がどのような課題を解決してきたのかをダイナミックに描く古典的名著。教科書的な文章ではない、ワクワクしながら読み進められるような快い筆致。ゴンブリッチの時代感覚に舌を巻きつつ、美しい図版を眺めるという至福のひと時を一ヶ月は味わえるだろう。
特に西洋美術史に興味のある方に強く勧めたい。
3.『贈与論』 マルセル・モース(森山工訳) 岩波文庫
いままで紹介した芸術系の本とは毛色が違うが、研究会で話題に上がるので紹介したい。原始的な文化に興味があるなら、これは一度読んでおくといいだろう。
様々な地域の事例をもとに、貨幣以前の経済の在り方を描き出す。ここでモースが語る「贈与」を、現代の我々がいかに引き継ぐか、あるいは否定するか。大都市に取り込まれない地域文化の現代を考えるための出発点のひとつではないだろうか。
4.ヴァナキュラー文化と現代社会 ウェルズ恵子編 思文閣出版
最近流行り(?)の「ヴァナキュラー文化」についての論文集。いわゆるマイノリティ文化だけに閉じていない、バランスのいい本。オリンピックからナバホ族まで、扱うジャンルは多岐にわたる。「限界芸術」や「民衆芸術」の研究を標榜する本会にとって、これだけ議論のフックがあるのはありがたい。難しい学術用語も少ないため、現実の社会に対しての誠実さも感じた良書。
社会問題に漠然と関心のある方に勧めたい一冊。
5.『エロスの涙』 G.バタイユ(森本和夫訳) ちくま学芸文庫
- 作者: ジョルジュバタイユ,Georges Bataille,森本和夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2001/04/01
- メディア: 文庫
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はい、ごめんなさい。バタイユ好きなんです。絶対「はじめの5冊」というくくりに入れるべきじゃないのは分かっているのだけれど、指が勝手に……。
恍惚-恐怖という感情の二極を絡ませながら語る、バタイユの絶筆。感情を揺さぶるような言葉の強さ、そして独特の感覚で語られる美しい世界。
牢獄の中のサドとゴヤ。部族の儀式の恍惚と中国の処刑の恐怖。眩暈のするような侵犯の持つエネルギーが、いつのまにか読者を酔わせるだろう。
まだまだ紹介したい(しないといけない)本もあるのだが、もう深夜だし、また別の機会にしようと思う。おやすみなさい。
前期の活動
諸君、会報を見てくれてありがとう。
なんとなく前期の活動の振り返りをしようと思う。
特に謎の多かった「限界芸術祭」について書きたい。
なぜこんなに遅くなったかというと、代表の心の整理が漸くついたからである(ケッコー傷ついてたのだ)。
……まず、始めにやったのが「マツモトワイヤーマン」
これは針金を愛しながら、造形していくという試みである。なかなか限界芸術ぽくて手前味噌ながら内容は良かったと思う。
そして気をよくした代表が独断で開催した「第一回限界芸術祭」
テーマは「笑いと消費」であり、各々が自由に表現をし、カオスな空間を創出することが目的だった。
事実、挑戦的な芸術が無数に並んだ。が、鑑賞者は内部の人間が殆ど。さらには通行人に石を投げられるでも罵倒されるでもなく、全く無視されたことに強く傷ついた。
これを機に、反ポピュリズムを標榜し、前衛的かつ挑戦的な態度を取っていた現代限界芸術研究会はツァラトゥストラの如く下野し、民衆の中にある本来の「限界芸術」を研究することを決意した。
その後に開かれた勉強会にて各々がテーマを決め、それぞれのアプローチで限界芸術研究をすること。そしてワークショップやパフォーマンスを並行して行うことを決めた。
そして、有志によって開かれた「四コマ漫画勉強会」への参加
さらに本会主催の「ウニュスペリ小説講座」へと続いていくことになる。
後期からは本格的な限界芸術の研究、そして学内でのゲリラ演劇を計画している。
後期からでも、もし参加してみたい人がいれば歓迎する。また、我々のワークショップに興味があり、ぜひ開催して欲しいという方がいれば、TwitterのDM 若しくはブログへのコメントなどで連絡を取ってくれ。我々は交通費さえあればどこへでも現れるだろう。
ウニュスペリ小説講座
ウニュスペリとは思考を具現化するときのオノマトペである。思考がウニュと表出し、スペリと具現化するとき、ずっと噛み続けたガムを吐き出したときのような、仄かな快感があふれでる。
しかし、ウニュスペリは技巧的であってはならない。巧拙のない形式でなければ純粋なウニュスペリの快感は味わいえない。
そんな中、限界小説家のモッチャゲホー先生と助手の二時間におよぶ議論によって画期的な表現形式の小説が生まれた。
「ウニュスペリ小説」
中身は単純だ(偉大な発明とは往々にしてそういうものだ)。
まず架空の作家を設定する。男でも女でも老人でも若くても、有名でも無名でも、日本人でも外国人でもいい(なんならカタツムリでもいい)。
設定した作家の書く小説を想像し、その
①タイトル
②序文
③途中の一節
④結末
を書く。ただし、巧拙の差が出ないように時間制限を決める。これらを「五分以内に」書くのだ。
これらを互いに批評しあい、序文から結末へのストーリーを想像し、互いのウニュスペリを存分に味わう。
さあ、ここまで読んでくれた諸氏にはウニュスペリ小説の魅力が充分以上に伝わったことと思う。
次回のワークショップのときはぜひ来てくれ(もし依頼があれば都合のつく限り、いつでもどこでも開催する。ただし遠方の場合は交通費だけください)。
マツモトワイヤーマン
フィラデルフィア ワイヤーマン( Philadelphia Wireman ) という 芸術 作品 があ る
い や、 芸術作品 な の か は 分 か ら ない が、 と に か く そうい った も の があ る
誰 に よ って 、 な ぜ 作 ら れ た の か 、 分 か ら ない 針金 人形
作 って み れ ば、 少 し は 分 か る か も し れ ない
や って み よう
衝動的 に 針金 を 曲 げ て み る ― 形 を 崩 し、 再構築 す る
針金 は 、 も は や 「 そ れ 」 を 示 す 名詞 と し て、 ふ さ わ し く な く な る
「 そ れ 」 は 偶然性 に 委 ね ら れ る ― つ ま り「 そ れ 」 は 放擲 さ れ 、 賭 さ れ る
こ こ で、「 そ れ 」 の 述語 は 「 人間 」 と 一致 す る
「 そ れ の 形 」 は「 人間 の 生 」 と 重 な り 、 響き合 う
「 そ れ 」 が 「 そ れ ら 」 に な って 、「 そ れ ら 以外 」 と の 区別 が 可能 に な る
区別 が 可能 に な って 、 や っと「 そ れ ら 」 を 名付 け る こ と が で き る
ひ と ま ず 「 マツモト ワイヤーマン 」 と で も 呼 ん でお こう
信州大学松本キャンパス生協広場前で行った活動。参加者には針金を渡し、自由に造形してもらう。針金を実際に手で変形させる行為を通した様々な発見、針金観の変化を経験してもらうとともに、実際に限界芸術活動を始める上でのウォーミングアップとしての役割もある。